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【コラム】【あの頃君を追いかけた⑨】ジュニア大会で語った大﨑孔稀のコメント内容が現実となる日も近い。(執筆者:安村 発)

前回に続いて、現在多くの名選手を輩出し続けたJapan Jr Kick 藤原敏男杯 全国大会(以下藤原杯)を振り返っていきたい。

まず、藤原杯とは500年の歴史を誇るムエタイ史上、二大殿堂のひとつラジャダムナンスタジアムで初めてタイ人以外でチャンピオンとなった“キックボクシングの神様”藤原敏男が総監督を務めるジュニアキックボクシングの日本最強を決める大会だ。“強くて優しい桃太郎のような子どもを発掘する場にしたい”をコンセプトに、北海道、東北、関東、中部、関西、中四国、九州、沖縄の8地区で予選大会が行われ、各地区の代表が東京で決勝大会に臨み、日本一が決まるという、今でもここまで大規模で開催しているジュニアキック大会はない。

記念すべき第1回大会には、全国の地区予選から勝ち上がった王者クラスやトップランカーたちが多数集まり、30キロ級では現在RISEで活躍する安本晴翔、50キロ級は那須川天心、55キロ級では現在SBエースとして世界強豪相手に好成績の海人がそれぞれの階級で優勝している。その他にも45キロ級には男子に混ざって伊藤紗弥がエントリー。50キロ級には朝久泰央、55キロ級には朝久裕貴の朝久兄弟が出場と、なんとも凄いメンバーが揃っていた。

2014年に開催された第3回大会には25キロ級には最速でラジャダムナンスタジアム王者に輝いた松田龍聖、40キロ級では安本晴翔、45キロ級で優勝したのは後にRISEバンタム級王者となる大﨑兄弟の弟・孔稀だった。

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孔稀は現在も所属しているOISHI-GYMで幼稚園児の時に、現RISEスーパーフライ級王者の一貴、姉の3人で空手を学ぶことに。見学時から「行きたくない」と拒絶するほどのスパルタ指導だったが、「僕たちの意思は尊重されないというか、強制的でしたね。泣いても親に連れて行かれて無理矢理、道場に行かされていました」と当時を振り返る。

空手のセンスは兄弟で差はなかったというが、孔稀はキックで開花。「空手時代は全然成績も良くなく、トーナメントに出ても一回戦負けとかはしょっちゅうありましたね。勝っても三回戦まで。それがキックを始めると中2、3の時にアマチュアのベルトを獲ったり、全国大会で優勝できるようになって、お兄ちゃんよりも僕の方がセンスがあるなと思うようになりました」(孔稀)。

アマチュア大会で着実に戦績を重ね、実力を付けていった孔稀は前述の通り、藤原杯出場が決まると、中部東海地区代表優勝候補として事前から注目を集めることに。初戦でDBS40キロ以下級王者・片岡亜沙人(FLAT UP)を破ると、決勝戦で関西地区代表の関本鷹介(隆拳塾)を相手に強烈なミドルでKOし優勝。ハイレベルな全国大会の決勝戦でKO勝ちはなかなか見られないものだけに、いかに大﨑がジュニア時代から突出したレベルの強さがあったことが分かる。

この時の優勝インタビューで孔稀は「全国大会で3試合して2KO勝ちできて嬉しいです。将来は日本のベルトを巻いて世界に挑戦したいです」と語っており、プロデビュー後はBOMバンタム級、WMCスーパーフライ級、J-NETWORKスーパーフライ級の3つのタイトルを獲得し、9年後の2023年12月、念願のRISEバンタム級タイトルを獲得している。今年8月には大森隆之介の挑戦を退けて初防衛に成功した孔稀は、次に世界の強豪が集まるONEへの出場が期待されており、藤原杯で語っていた夢が実現となる日も近い。

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