格闘技ライターの仕事を始めて、それまでの人生と大きく変わったことの一つが海外の人と話す機会が増えたことだ。まさにこのコラムも【印象に残った来日外国人選手】というテーマで執筆させてもらっているのだが、本当にたくさんの国の選手を取材させてもらった。特に筆者が格闘技ライターになった時期は旧K-1・PRIDEが全盛の時代で、一大会の出場選手の割合が日本人よりも外国人の方が多いことも珍しくなく、むしろビッグイベントの取材=外国人選手を取材するという感覚で仕事をしていた。
当然、外国人選手と日本人選手の取材の仕方は違う。例えば日本人の場合は対戦カード発表会見、公開練習や個別取材、試合前日や前々日の直前取材と、試合が決まると2か月弱の間に3回ほど取材する機会があり、それぞれの時期やタイミングを見て取材で質問する内容を変えて聞くことが出来る。
一方、外国人選手の場合は試合まで一週間を切ったタイミングで来日して、そこから試合までの間に各メディアの取材や撮影などが行われるため、選手の側からすると一日に何本も取材を連続で受けていることが多かったりもする。
選手側からすると必然的に同じようなことや似たようなことを繰り返し質問されるため、取材スケジュールが後半になってくると、取材を受けることに飽きていたり、同じ内容を繰り返し聞かれることに不機嫌になってしまっていることも多々ある。ライター駆け出しの頃に某ブラジルの有名選手を取材した際、そういった事情も分からず、その日最後の取材で通り一辺倒の質問を繰り返してしまい、キレられたこともあった。(この時は同席していた大会スタッフさんが雑談に切り替えて、何とかその場を和ませてくれた)。
また国が違えば文化も違う。日本では当たり前に聞くような質問でも、海外の選手にとってはデリケートな質問になることもあり、そういう場合は通訳さんが『そういう質問はやめておいた方がいいですよ』や『こういう言い方で聞き直しますよ』と教えてくれて、海外の選手の接し方を現場で学ばせてもらっていた。PRIDEで活躍したセルゲイ・ハリトーノフを取材した時、周りにいたロシアントップチームのコーチたちが「セルゲイは普段熊と一緒に山で練習してるんだぜ」というロシアンジョークを飛ばしたところ、これがハリトーノフのツボに入って爆笑し続けて取材ができなかったことがあるのだが、あれもおそらく日本とロシアの笑いのテイストの違いだったのだろう。
そんな外国人選手取材のなかで、印象に残っているのがヴィトー・“シャオリン”・ヒベイロの取材だ。柔術でムンジアル3連覇など輝かしい実績を引っ提げ、MMAでも2003年12月に修斗世界ウェルター級王者(現ライト級)にもなったシャオリンは、2007年からはHERO’SやDREAMで活躍することになるのだが、2006年2月にMARSという大会で光岡映二と試合をしたことがあった。
筆者はゴング格闘技でこの試合の記事を書くことになっていたのだが、試合後に改めて取材する時間がとれず、試合直後のインタビュースペースで本人を捕まえて取材しなければいけなかった。しかもなぜかこの大会は現場に行くスタッフが自分と編集のMさんの2人しかおらず(理由は覚えていない)、筆者はシャオリン以外の試合も書かないといけないため、リングサイドから離れられないという危機的状況だった。
そこでMさんと話し合って考えたのが、Mさんにインタビュースペースに張り付いてもらい、リングサイドで試合を見ている自分がMさんに携帯で質問をメールで送って、それを聞いてもらうというもの。遠隔で指示を出しているとはいえ、試合を見ていない記者が試合のことを質問するという(しかも筆者もMさんもまあまあ若手)、今思うとよくやったなと思うような取材体制だった。
そんな状況だったにも関わらず、シャオリンはMさんを通して伝えてもらった筆者からの質問に丁寧に受け答えしてくれた。大会後にMさんから聞いたのだが、シャオリンは僕からMさんに伝えた質問、しかも専門誌のレポート用の細かい技術的な質問に対しても時間をかけてゆっくりと答えてくれて、最終的にはMさんやノヴァウニオンのチームメイト相手に技を実演までしてくれたという。
まともにコメントをもらえるかどうかも分からず不安しかなかった取材だが、シャオリンのやさしさとMさんのおかげで無事に記事は完成。格闘技への愛と情熱と必死さがあれば、海外の人にも伝わるものなんだなと思う取材だった。
そんなわけで筆者の中でかっこいい・男前という印象が残ったシャオリン。MMA引退後もUFCやONEでレフェリーを務めている姿を見かけると、現役時代と体系もほぼ同じで、かっこいい・男前という印象は今も変わっていない。