格闘技メディアTHE1.TV(ザ・ワンTV)

【コラム】【K-1と立ち技格闘技の歴史⑥】K-1の進化は止まらない アンディ・フグの登場!(執筆者:松井 孝夫)

1993年に旗揚げされたK-1は、4月に無差別級トーナメントとなるグランプリ(GP)の第1回大会を開催してクロアチアのブランコ・シカティックが優勝し、東京・国立代々木第一体育館に1万2千人のファンが詰めかけた。大会はフジテレビで放映されて高視聴率を獲得し、幸先のいいスタートを切ることとなった。

GPは毎年開催するとして、次にやるべきことはスター選手を作ること。ここが既存のキック団体と違うところだろう。ただプラットフォームを作って、そこにトップファイターを集めていくだけでは、やがてマンネリ化を招き飽きられてしまう。

そこでK-1創始者の石井和義館長は、第1回大会に出場した選手たちを各大会に起用した。例えば1993年9月4日に日本武道館で開催した「K-1 ILLUSION風林火山”林の章”」では、準優勝したアーネスト・ホーストとタシス・トスカ・ペトリディスのWMTA&WKA世界ダブルタイトル戦、メインイベントでは佐竹雅昭とスタン・ザ・マンのUKF&WKA世界ダブルタイトルマッチを組んだ。

スタンはK-1第1回大会に出場できなかったトップファイターで、パンチの強打が武器だ。空手からキックボクシングに挑戦したばかりの佐竹からすれば、相性的にも一番苦手な相手と見られていた。

だが佐竹は、そうした下馬評を笑い飛ばすような鋭いジャブとローキックでスタンを攻略。晩年に本人がベストバウトの一つとして挙げているのが、このスタン戦だ。試合展開としてはダウンの応酬とはいかないためK-1らしくない戦いとも言えたが、人気者の佐竹の実力を疑問視する声を一掃する効果は絶大だった。

またホーストは、ペトリディスを3Rにパンチ連打でKOし、ヘビー級の迫力ある試合を見せることに成功した。

さらにGP一回戦敗退のピーター・アーツは、ディーノ・ホームズを豪快なハイキックでマットへ沈めて健在ぶりを示している。彼らを使い続けることで、やがて顔になっていったのは間違いない。

そして、石井館長が隠し玉として温めていたのが、極真カラテの外国人スター選手として名を広めていたアンディ・フグ(故人)の起用だ。“カカト落とし”を必殺技に持つアンディは顔面へのパンチ有りのK-1ルールでどこまで通用するのか?という幻想があり、石井館長はまずアンディの強さを空手ルールで証明した。

9月の「K-1 ILLUSION風林火山”林の章”」でアンディは、士道館王者の村上竜司と空手ルールで対決。するとアンディは試合開始早々、頭上高くまで上げたカカトを村上の側頭部の辺りへ直撃させた。稲妻のようなカカト落としの一撃で、村上は失神。アンディはインパクトを残すKO勝利を飾ることとなった。

担架で運ばれる村上を追いかけると、「フグの毒にやられた~」と頭に手をあてながらうめき声をあげて苦しんでいる姿が。まるで映画やマンガのようなシーンだが、アンディの最強幻想はますます膨らむばかりとなった。

その年の11月15日、「ANDY’S GLOVE」と銘打たれた大会が行われ、いよいよアンディが初のグローブマッチをすることに。

相手は空手マッチでアンディに負けた村上だった。村上は空手マッチではアンディに不覚をとってしまったものの、もともとボクシングテクニックには定評があり、黄金の左フックと呼ばれるパンチでプロレスラーの鼻を折っている。

まさに村上の怒りと執念が、グローブ初挑戦となるアンディに襲い掛かろうとしていた(以下、次回)。

動画ランキング

記事ランキング

勝敗を予想せよ 無料会員登録→30ドルプレゼント!