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【コラム】【印象に残った来日外国人選手⑤】中国立ち技格闘技の夜明け前、ジャオ・フーカイ(執筆者:中村 拓己)

2014年11月に新生K-1が旗揚げした時、立ち技格闘技で急速にレベルが上がっていた国が中国だ。老舗団体のWLF武林風や英雄伝説に加え、クンルンファイトが世界から16選手を集めた70kgトーナメント=中国版のK-1 WORLD MAXと言えるビッグマッチを開催。それ以降もGLORY OF HEROES、EM Legendといった大会が立ち上げられるなど、中国人ファイターとプロモーションが一気に注目を集めた時期だったと思う。その波は日本にも押し寄せ、新生K-1の旗揚げ戦にも中国からジャオ・フーカイが参戦した。

当時新生K-1の解説やパンフレット制作を担当していた筆者は来日前からフーカイの資料や試合映像をチェックしていたのだが、その時の第一印象は“ファイトスタイルが中国人らしくない”だった。中国の立ち技ファイターと言えば散打出身でサイドキックなど変則的な蹴りを使い、近距離になるとパンチではなくクリンチを多用する、ずばりK-1ルールには向いていない選手が多い印象だった。

しかしフーカイはサウスポーで左ミドル・テンカオ(ヒザ蹴り)を器用に使いこなし、左ストレートもシャープに打つ、いわゆるK-1仕様のファイトスタイルだった。しかもフーカイはこの年のクンルンファイト・70kgトーナメントに参戦し、一回戦で元It’s Showtime世界王者クリス・ンギンビ、準々決勝で日本のTOMOYUKI(西川智之)にも勝利しており、ファイトスタイルだけでなく、実績的にも世界に通用する試合を見せていた。

まさに急速に発展を始めた中国立ち技格闘技の若き実力者、それがフーカイだった

 

2014年11月の新生K-1旗揚げ戦でフーカイは、こちらも当時70キロの新鋭として期待されていた松倉信太郎と対戦。試合は松倉の左ボディを織り交ぜたパンチのコンビネーションで攻め込まれて判定負けに終わったものの、強烈な左ストレートで松倉を鼻骨骨折に追い込むなど爪痕を残した。

解説を務めていた魔裟斗氏からは「この選手は強い」と評価され、のちに対戦相手の松倉も「フーカイはむちゃくちゃ強かった。あそこまで強いと思ってなくて、無名であんなに強い選手とやるのはハズレですよ(苦笑)」と振り返っている。

フーカイは試合翌日にインタビューに応じ、当時の中国の立ち技格闘技の状況をこう語っていた。

「(K-1ルールでも強い選手が出てきた理由は)中国全体でキックの国際大会が行われるようになったことが大きいです。私たちの練習そのものが大きく変わったというよりも、キックの国際大会に出るために、私たちがK-1やムエタイルールに適応できるように戦い方を変えざるをえなかったと表現した方が正しいかもしれません。

(今後どんなファイターになりたい?)いくら中国で国際大会が増え、競技人口が増えたと言っても、まだ私たちは『中国で強い』というレベルで、世界的に説得力があるとは思いません。だからこそ中国国内で満足するのではなく、世界各国で戦って中国人ファイターの強さを証明しなければなりません」

この言葉通り、中国の立ち技格闘技は着実に進化を遂げ、多くのファイターが海外へと飛び出していった。日本では新生K-1でユン・チーが武尊や小澤海斗らのライバルとして立ちはだかり、2017年2月にはウェイ・ルイが初代ライト級王座決定トーナメントを制し、中国人初のK-1王座に就いた。それ以外にも日本と中国の団体が定期的に交流を続け、現体制のK-1ではオウヤン・フェンとリュウ・ツァーがベルトを巻き、KNOCKOUTではチュームーシーフーがタイトル戦線で戦い続けている。

フーカイ自身の来日は松倉戦のみだったが、その後もクンルンファイトでアンディ・サワーらとも拳を交えるなど、引き続き70キロのトップ選手として活躍。今や立ち技格闘技において中国人ファイターは欠かせない存在となったが、その扉を開いた1人がフーカイだったと思う。

ちなみにフーカイは現役を退き、自身が会長を務める「深圳福保キックボクシングクラブ」を設立。昨年5月に開催された「WORLD KICKBOXING SUPER LEAGUE」には愛弟子のジン・フーを引き連れ、指導者として日本の地を訪れた。フーカイをはじめ前述の中国人ファイターの招聘にも携わり、日本と中国のかけ橋となっているCFPの岩熊宏幸代表は「フーカイは今でも私と友好な関係を保っています。兄貴分的な面倒見の良いナイスガイですよ」とフーカイの人柄について話してくれた。

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