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【コラム】【あの頃君を追いかけた①】ムエタイ界に激震! 日本人選手による凄い時代到来ジュニア時代から頑張ってきた選手たちに注目!(執筆者:安村 発)

選手層が厚く日本人はおろか外国人選手も不可侵となることで“神の階級”といわれたムエタイ軽量級で日本人選手がチャンピオンになるとは、一世代前まで誰が予想できただろうか。

その偉業を成し遂げた吉成名高は10代の時にムエタイ二大殿堂スタジアムであるラジャダムナンスタジアムとルンピニースタジアムのミニフライ級で日本人初の統一王者となり、23年7月にはラジャダムナンスタジアムのフライ級王座を奪取し二階級制覇。それだけに止まらず、さらに同年の12月には階級を上げて同スタジアムのスーパーフライ級暫定王座を獲得。そして今年2月には過去最強の敵といっても過言ではない、正規王者プレーオプラーオとの統一戦に臨み、完勝で3階級制覇を果たした。

私がキックボクシングに興味を持ち始めた中学生の頃、当時購入していた格闘技雑誌では立嶋篤史、前田憲作、小林聡といったキックボクサーが表紙を飾り、試合レポート、インタビューを読んでは興奮していたものだ。しかし、ムエタイ9冠王のチャモアベットに立嶋(1995年1月7日)や前田(2000年3月19日)は敗れ、2002年9月には当時ルンピニー王者だったサムゴーの破壊力を秘めた左ミドルの前に成す術なく惨敗した小林の姿を見て、ムエタイの強さにただただ驚いたのは今でも記憶に残っている。

数年後、大学を卒業し社会人となった私はGBR(のちのイーファイト)に入社。それからも取材を通して“ムエタイの強さ”を知ることになる。2006年にシュートボクシングが主催する世界トーナメント「S-cup」で世界の強豪が集う中、決勝戦ではSBのエース・緒形健一が同大会を二連覇中だったアンディ・サワーを破り優勝。

しかし、S-cup王者として迎えた2007年の初戦で現役ラジャダムナン王者ビッグベンと対戦すると、2Rに右フックを浴びてKO負けを喫した。上司だった熊久保英幸さん(現GONG格闘技編集部)と会社に戻る途中、「なぜタイ人選手はあんなに強いのでしょう。日本人選手がムエタイの王者に勝ったり、チャンピオンになることはあるんですか」と疑問を投げかけると、熊久保さんは「タイ人は小さい頃からムエタイを学んでいるが、日本人は早くても10代後半からキックをやっている」と、何よりキャリアの差が大きいことを説明してくれた。

K-1MAXでの魔裟斗の活躍の影響を受けてか、ジュニア競技者数が増えていったことで、2004年から日本ムエタイの火付け役として国内ムエタイ興行の第一線で活動してきたウィラサクレックムエタイジムが『M-1ムエタイチャレンジ』のジュニア大会を2009年5月からスタート(第1回大会では初代35kg級王者となった岩田翔吉は、現在、帝拳ジム所属。日本タイトルを獲得し、世界ランカーとして活躍)。

(C)鈴木雄一郎

同年12月には、大田原光俊代表のB-FAMILY NEOが主催する『WINDY SUPER FIGHT』も誕生。両大会では毎回トーナメントが開催され、回を重ねるごとにレベルも高くなっていき、那須川天心、武居由樹、石井一成、小笠原瑛作、福田海斗、平本蓮、伊藤紗弥、安本晴翔、龍聖といった、後にチャンピオンとなる選手たちがトーナメントを制覇。さらにBigbangやBOMといった各プロモーションによるジュニア大会の開催数も増えていき、そこで吉成名高や品川朝陽、奥脇竜哉といった選手たちが何度も優勝を果たしている。

「タイの環境と同じく、日本で小さい頃からムエタイを学んでいる子たちがこのまま大きくなっていったら“神の階級”でベルトを巻く選手も出てくるんじゃないか」

偶然にもアマチュア大会取材をする機会が増えていった私はそんな期待を抱かざるを得なかった。

(C)鈴木雄一郎

現在、ムエタイ強豪を破るなど43戦無敗でキックを卒業した那須川天心はボクシングに転向し世界4団体制覇を狙い、すでに実績を残している吉成名高を筆頭に、ラジャダムナンスタジアムではミニフライ級で奥脇竜哉が王座獲得、フライ級では石井一成、バンタム級で松田龍聖、フェザー級で品川朝陽、スーパーフェザー級は吉成士門といったジュニアムエタイ育ちの選手たちが“神の階級”でタイトルを狙う位置にいる。

日本人選手による凄い時代が到来する日も近い。一世代前には考えられなかったことが現在ムエタイ界で起こっている。次回より、ジュニア時代から取材してきた天心を始めとする選手たち個人との思い出を振り返っていきたい。

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