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【コラム】【ファイター今昔物語④】2008年の杉山しずか(執筆者:亀池 聖ニ朗)

7月21日、立川ステージガーデンで開催されたPANCRASE346にて、杉山しずかが重田ホノカをニンジャチョークで下しフライ級QOPとなった。2008年11月のプロデビューから約16年を経て初のベルト獲得に、杉山はケージの中で涙を流した。

杉山の試合を初めて見たのは、プロデビュー直前の2008年10月5日。当時所属していた空手道禅道会の全日本大会=リアルファイティング空手道選手権大会だった。小学校から高校までバレーボールを続けたあと、体育の教員になるため進学した大学1年生は禅道会に入門後、2007年のリアルファイティング一般女子の部で準優勝を果たしている。

禅道会に入るまで格闘技の経験はなかったようだが、初めて杉山の試合を見た時から非凡なセンスが感じられた。当時はどちらかといえば打撃が中心のファイターで、パンチとミドルキックに伸びがあった。試合では体格を生かした、首相撲からのヒザ蹴りも見せている。一方で寝技にはまだ不安もあり、2008年のリアルファイティング決勝ではテイクダウンを奪われ、さらに十字を極めかけられるなどして敗れている。

翌月にジュエルスでMMAプロデビュー戦を行った杉山は、1RにRNCで勝利した。この2008年は、国内女子MMAにとって激動の年でもあった。「女子総合格闘技のパイオニア」と呼ばれたスマックガールが、4月25日の大会を最後に活動休止に。同年10月にはスマックガールの運営権を譲渡された「ジュエルス」(その後、DEEPジュエルスに)旗揚げが発表される。一方、GCMコミュニケーションも当時としては珍しいケージを使用した女子MMA興行「ヴァルキリー」をスタートさせる。スマックガールで育ってきた女子ファイターは、ここでジュエルスとヴァルキリーに分かれることとなった。

2008年4月のスマックガール。メインで藤井惠がハム・ソヒを下し、ワールドReMixトーナメント決勝に進出した。しかしこの大会を最後にスマックは活動を休止し、トーナメント決勝も幻に……。

ところで「ジョシカク四天王」という言葉をご存じだろうか。スマックガール時代のトップファイター4人——辻結花、藤井惠、しなしさとこ、そして渡辺久江の4人を指す名称だ。加えてスマックの前身であるReMix時代から戦っている星野育蒔、久保田有希、さらにキックボクシングから転向したWINDY智美、今も現役でベルトを争う端貴代らが国内女子MMAの第1世代といえるだろう。

対して、スマックガール活動休止後にスタートしたジュエルスとヴァルキリーは、スマックガール中期から後期にかけてデビューした世代(ここでは第2世代と呼ぶ)を中心に展開された。スマックガール時代を経験していない杉山も、この世代に含まれる。

こうした女子選手だけのMMA興行が継続されるなか、DEEP、パンクラス、修斗なども女子の試合を組み込んでいた。2009年と2010年にリアルファイティングで優勝を果たした杉山も2011年のオーストラリア留学を経て、DEEP本戦にも出場するように。一方でDEEPジュエルスでは2度、タイトルマッチを経験しながらベルトを巻くことはできなかった。

同世代のファイターが結婚と出産からリングを去ることも増えるなか、杉山もまた2013年に中村K太郎と結婚し、2015年には第一子を出産したあと2017年に復帰する。そして今回——重田が持つパンクラスのベルトに挑むことが発表された記者会見後、筆者は杉山の単独インタビュー時に、正直な印象を伝えた。

「杉山選手がここまでMMAを続けるとは思っていなかったです」

そんな記者の言葉に杉山は「あぁ、それは分かります」と笑った。

プロデビュー以降、その身体能力とルックスが相まって、杉山は常に注目を浴びる存在だった。しかしながら、どこか掴みどころがない印象もある。ずっと彼女に対して「ポテンシャルを発揮しきらないままMMAから去るのでは……」という印象を持ちながら取材していたことは事実だ。

そんな記者の杞憂をよそに、杉山は戦うこと、強くなることにこだわり続けた。「自分の好きなことをする」と決めた彼女は、ベルトへの想いを「エゴ」と呼んだ。「ベルトを獲ることしか考えていない。勝つために一番シンプルな気持ち」と説明した杉山のエゴは、ベルトを巻いた今、次にどこへ向かうのだろうか。「燃え尽きることはないし、今も燃えている」という彼女の今後のキャリアが楽しみだ。

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