私がこの業界に入り、仕事をするようになったのは約15年前のこと。当時のジュニア選手の試合といえば、新日本キック興行の休憩時間に数試合が組まれ、子供たちがひたすら手数を出し合う内容のものがほとんど。
当人たちは懸命だが、そこで見られる攻防があまりに可愛いすぎ観客からは応援の声が飛ぶ空間となっていた。そんな印象が強いジュニアの試合だったが、数年後に、仙台で開催された東北最大のアマチュア大会「Aリーグ」で見た試合、特に名高の試合は違った。スピードある出入りの早いステップを駆使し、相手の攻撃に合わせてカウンターを入れ、さらに技は多彩。同大会の主催ジムであるDRAGON GYMの佐藤亮会長から「関東から次の大会に凄い“天才少年”が来る」との情報通り、こんなに凄いジュニア選手がいるのかと驚いたことを記憶している。
そして、これまでにもBigbang、BOM、はまっこムエタイといった各アマチュア大会でタイトルを総なめにしてきた名高は当然のごとく、この日行われたAリーグでのジュニアトーナメントで優勝を果たした。
小さい頃から格闘技を続けていたジュニア選手は、中学や高校に進学するタイミングで部活に所属したり、勉強に専念することで格闘技の道はそこで途切れるケースを何度も見てきたが、なぜ名高はそのまま続けることができたのだろうか。
父・圭宏さんに以下のように話してくれたことからも、彼の負けず嫌いな性格がキックを続ける一番の要因になったことが伺いしれる。
「名高が中学1年生の時に中間テストがあり、負けず嫌いだから格闘技をやって馬鹿だと思われるのが嫌だったんでしょうね。名高は所属ジムのエイワスポーツジム・中川夏生会長に『勉強したいので今日は帰ります』と言ったら、凄く怒られたそうで(笑)。『俺はお前にテストの点数を良くさせるためにキックを教えているんじゃねぇ! 帰れ!』と言われたのですが、そのままジムに残って泣きながら練習し、夜中に帰宅したと思ったら、ずっと徹夜で勉強してテストに臨んでいたんです。そうやって格闘技もテストも両方をクリアしていったので、名高は偉いなと。最初の頃はジムでの練習がきつかったようで、泣いたりしていたけど、次第に強くなって試合で結果を残していくうちに、逆に練習が楽しくなったみたいで。ゲームをクリアするように練習をやっていて、当時は学校の行事があるのに、一切そういうのには参加せず、練習を優先させていましたね。試合が終わって休みの日に『今日は何をするのかな』と思ったらいきなり朝早く起きて、外に走りに行っていて、常に練習していないと落ち着かない子でした」
またキッズファイターは、将来を考えた家族の反対もあって格闘技を続ける道を断念するケースも少なくない。その点、本人の努力ももちろん重要だが、名高が現在も活躍しているのは家族、ジムといった周りのサポートがあることも大きいといえる。
名高はその後、プロになり、外国人として史上初のラジャダムナンスタジアム3階級制覇を達成するなどムエタイ・ギネスを更新。9月1日に横浜で開催されたBOMでは、あのブアカーオ、センチャイといったムエタイのレジェンドたちだけが巻いた「WBCムエタイ ダイヤモンド」のベルトを獲得し、現在、32連勝という記録を更新している。
名高は今度、どのような道を歩み、どういう記録を残していくのか。今はまだ明かせないが、彼には壮大なプランがあることも関係者から聞いており、ただただ楽しみでしかない。また興味深い次戦も近々発表される予定なので、主催者からの発表をしばしお待ちを。