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【コラム】【印象に残った来日外国人選手①】「この選手を呼べませんか?」マラット・グレゴリアンの思い出と裏話(執筆者:中村 拓己)

自分で言うのは少々恥ずかしいのだが、ライターからプロモーターになり、プロモーターを経てライターに戻った人間は珍しいと思う。そんな自分だからこそ書ける、話せるものがあると思って、ライター業に復帰したわけで、このコラムでは自分ならではの視点で原稿を書いていきたいと思っている。

 プロモーターを経験して、ライター時代と大きく変わった点はマッチメイクを経験したことだろう。マッチメイクはただ単純に“誰々と誰々が戦った面白い!”と思って決められるものではなく、組むべきタイミングや実現するまでの流れはもちろん、契約の状況やファイトマネーなど、様々な条件をクリアして初めて実現するものである。

 そしてそのマッチメイクがハマるかどうかはいざ蓋を開けてみなければ分からない。絶対に面白いと思って組んで大ゴケすることもあれば、そこまで期待をかけていなかった試合が予想外に跳ねることもあるものだ。

 そんなライターとプロモーターの両方の立場を経験した自分が近年で印象に残っている外国人選手といえばマラット・グレゴリアンだ。

 2014年11月の新生K-1旗揚げ時からK-1オフィシャルの仕事を手伝うようになっていたのだが、その流れで外国人選手を招聘する際に「この選手はどう?」や「どんな選手を招聘するのがいい?」とマッチメイクチームから意見を求められるようになっていた。初年度の新生K-1は全4階級で初代王座決定トーナメントが開催されており、70キロで筆者が「この選手を呼べませんか?」とお願いしたのがグレゴリアンだった。

 当時のグレゴリアンは若手時代にイッツ・ショータイムに参戦し、GLORYのワンマッチで数試合戦っただけで、決してビッグネームというわけではなかった。しかしガードを固めて前に出る・パンチとローのコンビネーションで攻めるパワフルなファイトスタイルは当時から健在で、この選手は間違いなくK-1ルール向きで、日本のファンにも受けるだろうと思っていた。しかも23歳と年齢的にもこれからで、新生K-1のスタートにはうってつけの人材だった。

 しかもこの頃はまだONEのキック部門がスタートしておらず、GLORYや中国のKunlun Fightが世界的なビッグプロモーションとして活動していた時代。グレゴリアンは両イベントに参戦経験こそあったもののレギュラー選手ではなく、契約的にも金銭的にも日本に招聘することが可能だったのだ。

 ほぼ日本では無名のグレゴリアンだったが圧倒的な強さを発揮。トーナメント全3試合すべてKOで勝利し、見事に優勝&初代王座を手にすることになった。このあとグレゴリアンはGLORYに戦いの場を移し、トーナメントが最初で最後のK-1参戦となったのだが、のちにGLORY、そしてONEのトップ戦線で活躍し、現在も世界最高レベルに位置している。

 日本では無名の選手が一夜にしてチャンピオンになり、新しい時代の扉を開く。旧K-1MAXで止まっていた70キロ・中量級の時計の針を動かした――グレゴリアンはそんなファイターだったと思っている。

 せっかくなのでそんなグレゴリアンの裏話を一つ。実はグレゴリアンは初代70キロ王座決定トーナメントのちょうど1カ月前にGLORYに出場し、セルゲイ・アダムチャックに判定で敗れている。このアダムチャックもトーナメントのリザーブファイトに出場が決まっていたため、試合内容によっては勝ったアダムチャックを本戦に繰り上げる可能性もあったのだが、サウスポーで技巧派のアダムチャックよりも、好戦的なグレゴリアンの方が間違いなく試合は面白いと思い「絶対にグレゴリアンの方がK-1向きの試合をするから、トーナメントはグレゴリアンのままでいきましょう」とマッチメイクチームに進言し、直近の試合で敗れたグレゴリアンがそのままトーナメントに出場したというエピソードがある。

 あの時「勝ったアダムチャックでいきましょう」と言っていたら歴史が変わっていたかもしれない……というのはおこがましいが、こういうエピソードを書けるのは自分ならではなので、読者の皆様、これからもよろしくお願いします。

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