PROFESSIONAL SHOOTO 2022 開幕戦 小野島恒太 インタビュー

1月16日(日)、東京都文京区の後楽園ホールで開催される、プロフェッショナル修斗公式戦2022開幕戦で、小野島恒太と藤井伸樹が空位の環太平洋バンタム級王座を争う。

 

元パンクラス同級1位、そして現在は修斗世界ランキングで2位につける藤井と対戦する小野島にとって、これが2度目の環太平洋チャンピオンシップ挑戦となる。

前回の王座戦は2014年3月、根津優太に判定負けを喫して、ベルトを腰に巻くことはできなかった。

あれから8年――毎試合バチバチの打ち合いに臨んでいたストライカー小野島が、グラウンドゲームを主軸とするファイターに生まれ変わって挑むチャンピオンシップだ。

その小野島に、ファイトスタイルの変化とチャンピオンシップについて訊いた。

 

――2度目の環太平洋チャンピオンシップ挑戦を、1週間後に控えてのインタビューとなります。

「最初のチャンピオンシップは2010年11月、根津優太選手との環太平洋チャンピオンシップで、これが2回目のチャレンジですね」

――前回の王座挑戦が、もう約8年前になるのですか。

「そうなんです。2014年10月のVTJに出ているんですが、その2週間前に前十字靭帯を断裂してしまって、試合中にヒザが崩れて負けてしまいました(佐藤将光に1R KO負け)。そのあと前十字靭帯の手術があったのと、自分のジムをオープンしたんですよ。そこから2017年にようやく復帰したんですけど、その次の試合が2019年6月なので、約5年ぐらいブランクがあるんですよね。

そこで復帰しようと思ったのは、2014年にベルトを獲れなかったから、というのは大きかったです。もう一度ベルトに挑戦したい、そういう想いは強かったですね」

――なるほど。まず小野島選手が格闘技を始めたのは、いつ頃のことですか。

「13歳の時にボクシングを始めて、14歳の時は骨法をやっていました。北条さん(北条誠氏。当時、骨法の主力選手だった)に教わっていましたね。少しの間ですけど。そのあと護身術系の格闘技を始めて、本格的に競技として始めたのは21歳ぐらいの時ですね」

――もともとボクシングなど格闘技を始めようと思った理由は、何だったのでしょうか。

「単純に、強くなりたかったからです。殴り合いたい、っていう感じでした。骨法も当時、堀辺正史師範の本――『喧嘩芸骨法』を読んで、ここなら喧嘩を学べるんじゃないかと(笑)」

――まだ骨法が現在の『日本武道傳骨法會』になる前のお話ですね。

「はい。とにかく中学生の頃は、喧嘩に近いことがやりたかったんですよ」

――中学時代はヤンチャな時期があったのですか。

「いえいえ、そんなことはないです(笑)。子供の頃からプロレスが好きで、とにかく強くなりたかったんですよ」

――そうでしたか(笑)。ボクシングや骨法を学んでいた時期から、将来はプロの選手としてやっていくことは考えていなかったのでしょうか。

「当時はそこまで考えていなかったです。というより、今まで格闘技のプロとして食っていこうとは思ったことは一度もなくて」

――というと?

「実際、今はプロ選手ではありますけど、自分でジムを持って生活していますし。まず21歳か22歳の頃からアマチュア修斗に出始めて、プロシューターになりたいと思ったんです。でもそれは、プロ選手としてごはんを食べていこう、ということではなかったんです。アマチュア修斗の延長戦上でプロになり、新人王になりたい、ベルトを獲りたい――そうやって一つ一つ段階を踏んでいく修斗のシステムのなかで、自分の目標を設定しました」

――それが小野島選手にとって「強くなること」の証明だったのですね。今もなお強さを求め続けていくなかで、その強さ自体に限界を感じたことはないですか。

「あぁ~、今38歳という年齢なので、若い時より練習量が落ちたり、調整が難しくはなったりしています。体も故障だらけですし。その点で衰えは感じますけど、それを技術的にカバーするように意識はしています。おかげで今も、自分が知らなかったことを知る、できなかったことが身につく――そうやってプラマイゼロになっているかもしれないですね。それは選手として現役を引退しても、ずっと続くことかもしれないですけど」

――それが成長なのかどうかは分からないのですが、小野島選手はプロデビュー当時、打撃……特にパンチを中心に戦っていました。一方で現在はテイクダウン、スクランブル、そしてグラウンドゲームを主軸にしています。

「それは自分が選手として生きていくうえで、変化しないと生き残れない、選手を続けられないからです。山本賢治戦(2012年12月、1-1のドロー)とか、ああいう試合をしていると、選手として長く続けられないなって思ったんですよ」

――当時はバチバチに殴り合う試合をしていましたね。正直なところ、見ている側としても同じことを感じていました。

「アハハハ、そうですよね。ダメージのこともありますけど、あとは若い選手とそういう試合内容で張り合っていくのも、いずれ難しくなっていくじゃないですか。できないことはないけど、落ちていくのは分かっていました。それを見越して、自分のスタイルを少しずつ変化させてきたんです。打撃のスタイルも距離も昔とは違いますし」

――試合スタイルを変化させ始めたのは、いつ頃のことでしょうか。

「2019年に復帰してからですね。31歳の時に怪我やジムオープンで戦線を離脱して、5年後に復帰した時、自分の肉体の変化に気づいたんですよ。昔と同じ練習ができない、同じ練習をすると体調を崩してしまったり、スパーリングの強度が落ちてしまう。それも、5年間も離れていたから気づけたことだとは思うんですけど」

――そのようななかで真逆の試合スタイルに変化させることは難しくなかったですか。

「もともとストライカーでしたからね。練習したことが、すぐに試合で出るということはないです。ちょっとずつ時間差で出てくるんですよ。それこそ1年前に練習していたことが、今ようやく出てきたりとか(笑)。

昨年のインフィニティリーグでは、個人的には勝ったなと思った試合でも評価を得られず引き分けになった試合もありました。スタイルを変化させていくなかで、自分の技量が足りていなかった。ツメが甘い状態になっていたと思います。

でも、インフィニティリーグに出たことは、自分にとってプラスになりました。リーグ戦の前までは、自分の中でも完成度が50ぐらいだったのが、リーグ戦を通じて80か90ぐらいまで上がってきています。若い選手と対戦したことが、自分のスタイルを完成させるための糧になりましたね」

――昨年11月に5度目の挑戦で修斗世界王座を獲得した猿丸ジュンジ選手も、同じような経験をしたと思います。もともとストライカーであった猿丸選手が、ウェルラウンダーとなるまで時間を要しました。

「猿丸選手については、僕も注目していました。もともと本人も打撃が強いと思っていたんでしょうし――もちろん強いんですけど、それよりも組み技のほうが強かったんじゃないかと思うんです。今ようやく、それを試合で出せるようになったという意味では、僕にとっても猿丸選手の活躍が励みになるし、目標となる選手の一人ですね」

――小野島選手も、そのようなスタイルチェンジを経て、今回の環太平洋チャンピオンシップに臨みます。対戦相手の藤井選手については、どのような印象を持っていますか。

「粘り強くて、ゾンビと言われていますよね。最も戦いたくない男と言われているような、しぶとい選手で。大きく言うと、かなり自分と似ているタイプですよね。パンチを打って、組んで、またパンチを打って――ただ、その中でも打撃や組み技の種類は違う面もあります」

――両者のファイトスタイルから考えると、タフな試合になると思われます。

「そうですね(苦笑)。でも今の修斗バンタム級では誰とやっても、しんどい試合になりますから。チャンピオンやランキングっていう序列はありますけど、ケージに入ったら誰が勝ってもおかしくはない状況なので」

――その修斗バンタム級の中で、環太平洋のベルトは小野島選手にとって、どのような意味を持っているのでしょうか。

「たぶん僕がこのベルトを獲っても、外から見れば僕は何も変わらないんですよ。有名になったり、お金持ちになったりすることはない。それは僕が一番よく分かっています。でも、そういうことではなくて。自分がやってきたことの集大成として、このベルトが心の底から欲しいです。

いま格闘技を続けているのも、2014年に獲れなかったベルトに、もう一度チャレンジするためでもあります。全ては、この1月16日のために怪我から復帰したんですよ。そして――これからも格闘技を続けていくために、必ずベルトを巻きます」

 

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