2021/9/23 DEEP103 IMPACT 藤田大和 インタビュー

 

9月23日(木・祝)、東京都文京区の後楽園ホールで開催されるDEEP 103 IMPACTのメインイベントで、DEEPフライ級王者の藤田大和が挑戦者・伊藤裕樹を迎え撃つ。

 

藤田がアマチュアボクシング全日本王者の肩書を引っ提げ、MMAでプロデビューを果たしたのは2017年10月15日のこと。RIZINのリングで那須川天心と戦ったが、判定負けを喫した。以降、MMA5戦目までの戦績は、2勝3敗――3敗目を喫した相手は、今回対戦する伊藤裕樹だった。

 

しかし伊藤戦以降、MMAファイターとして成長した藤田は、2021年2月にDEEPフライ級王座を獲得し、今回リベンジを賭けた初防衛戦に臨む。

 

そんな王者に幼少期からの格闘技経験について聞いてみると、意外な事実が明らかとなった――

 

――藤田選手のご家族は、いわゆる「格闘技一家」なのですよね。

「家族が極真空手の道場をやっていて、小さい頃から空手をやっていました。それと兄がプロボクサーだったので、兄が所属していたボクシングジムにも通っていました」

――お兄さんというのは、ボクシングの元OPBF東洋太平洋スーパーフェザー級王者、藤田和典さんですね。

「はい。それから姉が2人いて、上(藤田典子)は98年の極真会館全日本優勝、2001年には世界大会で3位に。下(藤田翔子)も極真会館の全日本女子ウェイト制で準優勝して、世界大会にも出場しています。もう1人、弟(藤田健児)は、プロボクサーとしてデビューしました」

――そのなかで、なぜ藤田選手はボクシングを選んだのでしょうか。

「小学生の頃は極真空手とボクシングを並行してやっていたんですけど、だんだん顔面有りの競技をやりたくなっていったんですよね。でも中学生が出られるボクシングの大会はなかったので、グローブ空手の大会に出ていました」

――グローブ空手時代の試合を、映像で見たことがあります。その試合では、強烈な左フックで相手を吹っ飛ばしていました。同年代と試合をすれば、相手が大怪我をするのではないかと……。

「いえ、それは同年代との試合ではないですね」

――えっ、どういうことですか!?

「中学3年の時、主催者の方にお願いして、大人の選手と試合をしていました。相手は20代中盤の選手が多かったと思います。プロでも5戦までの選手なら出場できるルールだったんですよ。だからプロのキックボクサーも出ていました」

――ということは、20代中盤のプロ選手をパンチで吹っ飛ばしていたのですか。

「そうです。グローブは12オンス、試合時間も本戦2分だったので、最初からトップスピードでいかないと倒せなかったですけど」

――なるほど……。その後、高校から正式にアマチュアボクシングの試合に出場することになるのですね。

「入った高校にはボクシング部がなくて、同好会を作ってもらって出場しました。中2の時に、家族が『ドリーマージム』というボクシングジムを始めたので、高校に入ってからもドリーマージムで練習して試合に出ていましたね」

――そのドリーマージムですが、オープン当初は同じ敷地内で総合格闘技道場コブラ会のクラスもあったかと思います。

「そうなんですよ。実は、僕も中2か中3の時に、グラップリングの練習をしたことがあったんです」

――そうだったのですか!

「コブラ会の三島☆ド根性ノ助さんが土日に指導されていて、そこに弟とグラップリングの練習に参加していました」

――当時からMMAに興味があったのでしょうか。

「いえ、始めたのも半強制的でしたね(苦笑)。父に『高校に入ったらボクシング一本に絞るけど、その前に何でもやっておけば、いつか役に立つ日が来るから』と言われて……。まさか、そのあと本当にグラップリングの経験が役立つ日が来るとは、思っていませんでした」

――それは不思議な縁ですね。ただ、そこから本格的にボクシングの道に進み、大学時代には全日本選手権も制しています。

「本当は高校を卒業したらプロボクサーになるつもりだったんですけど、僕が高1の時(2008年)、北京オリンピックに地元の先輩である清水さんが出ていたんですよね。そこからオリンピックも気になっていて」

――2012年にロンドン五輪で銅メダルを獲得した清水聡選手ですね。

「高校時代の成績(アマチュア3冠)で、大学から声がかかって、僕もロンドン五輪を目指すことに決めました。大学を卒業してからでもプロになれる、と考えて」

――そして、ロンドン五輪の前年には、清水選手を下して全日本選手権を制しました。

「あの時は、まさか清水さんには勝てると思っていませんでした、必死に戦っていて、気づいたら勝っていたという感じで……。ずっと僕をかわいがってくれていた先輩なので、嬉しかったです。でも僕はロンドン五輪を出られず、その後は自衛隊体育学校に進んだんですけど、結果を残せずにリオ五輪にも出られなくて、一度ボクシングから離れようと思いました」

――その時、プロボクシングは考えていなかったのですか。

「考えていなかったです。兄がプロの世界で苦労しているのを見ていたこともあって」

――プロボクシングと同様にMMAも、いろいろ難しい部分もあるかと思います。

「そうですね。でも、MMAの世界のことを知らないから、逆に良かったんだと思います。ボクシングから離れようと思った頃に、いま所属しているリバーサルジム新宿Me,Weを紹介されて、MMAもやってみたいと思ったんですよ。それで2017年の3月に自衛隊体育学校を辞めて、MMAの練習を始めました」

――3月にMMAを始めて、その年の5月にはアマチュアの試合に出ていたのですか。

「はい(笑)。ボクシングをしていたし、昔グラップリングの練習をしたことがあるのも伝えて、最初からプロの練習に入らせてもらいました」

――同年10月には、RIZINの那須川天心戦でプロデビューしています。注目を集める大舞台でのデビューとなりました。

「といっても、僕が噛ませ犬だということは分かっていましたから(苦笑)。それより、MMAでデビューできたのは嬉しかったですね。『MMAに戻ってきた』という感じでした。ただ、デビューから5試合は勝ったり負けたりで……。当時は『ある程度、打撃で通用するだろうな』っていう甘い考えがあって」

――結果、2019年9月の伊藤裕樹戦で、RNCによる一本負けを喫しています。

「あの一本負けは、自分の中で本当に大きかったです。そこからレスリング、グラップリングや柔術を強化して、それこそ打撃を封印した練習にも取り組みました」

――なるほど。伊藤戦後の藤田選手の試合で印象に残っているのは、2020年9月のランボー宏輔戦です。左フックでダウンを奪ったあと、相手が立ち上がろうとした瞬間に組み付き、すぐ小外刈りで倒して抑え込みました。あの切り替えのスピードは、それまでの試合と大きく異なっていたように思います。

「僕も、あの瞬間のことはハッキリ覚えています。伊藤戦からちょうど1年後、その試合ぐらいですね。練習でもスクランブルで勝てるようになったり、寝かされることがなくなったり……。相手が得意なギロチンの対策もやっていたんですけど、抑えたあとに仕掛けてきたギロチンも外すことができましたし」

――さらに、直近の山本聖悟戦(2021年7月)ではローから右ハイにつなげてKO勝ちを収めるなど、試合スタイルも変わってきたのではないでしょうか。

「僕の場合はずっとパンチに重点が置かれていました。でも『蹴りを散らしてからパンチで仕留める』という考えに変えてから、うまくハマっていると思います。山本戦は右ハイで倒しましたけど、あれもローが当たっていたからですね」

――MMAファイターとして進化しているのですね。

「1戦1戦、いろんなパターンを出しながら、結果として毎回違うパターンで勝つことができているので、MMAとして広がっていることは実感しています」

――次の試合ではDEEPフライ級王者として、一度敗れている伊藤裕樹選手を挑戦者に迎えて戦います。

「僕も前回とは全く違いますから。あまり大きなことは言えないですけど、『見とけよ』と思っています」

――藤田選手は前回の伊藤戦後、大きく変わりました。対する伊藤選手については、どのような印象を持っていますか。

「昔と変わらず、動きは速いと思います。でも自分は動きも負けないし、パワーも相手とは違うと。打撃で付き合ってくれるなら嬉しいし、たとえ組みに来ても負けません。相手がどうであろうと、僕は僕の戦いをします。今から試合が楽しみですね」

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